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 三章 空変わること [ きみのたたかいのうた ]

 取り敢えず、昼食である。
 考えてみればナルトは昨夜、腹持ちのいいとも言えないうどんを食べかけのまま、この不可思議な現象に巻き込まれたのである。
 自覚してしまえば腹がぐるると鳴った。
「カカシ先生」
「なーに」
「昼ごはん作ってもいい?」
「聞かなくても自由にしなさいよ。ここ、お前のうちでもあるんだからさ」
 苦笑するカカシに頬がほてほてと昂ぶる。
 未来でも変わりなく与えられる言葉が嬉しかった。
 遠慮はやめて、冷蔵庫に駆け寄る。扉を開いて驚いた。
「何もねぇってば……」
 あ、と背後でばつの悪そうな声がした。
 顔だけ振り向くと、カカシは視線をあらぬ方向へ向けている。
「センセ、これ、どーいうこと……?」
 よく見えるように開けて見せた冷蔵庫の中には、ビールが二缶と、調味料がいくつか転がっているだけ。
 カカシと同居する前、幾度も遊びに行ったことはあるが、ここまで悲惨な状況に出くわしたことはついぞない。お世辞にも中身が充実しているとは言いがたかったが、卵や野菜など最低限の食料は入っていた。
「いやー……ねぇ?」
 あはは、とカカシは空笑いを浮かべる。
「つうか、何食って生きてんだってばよ……」
 ナルトは怒りよりも呆れが込み上げてきた。
 この有様では家でロクに食事を摂っているとは考えがたい。外食ばっかりだと体に悪いよ、とナルトに言い聞かせた当人とは思えぬ所業である。
「お前がいないと、美味しくないんだよ」
 苦笑するカカシに、ぐうと喉が鳴る。
 野菜の宅配から始まって、初級料理本と材料を持ち込み、一緒に作って食べる。誰かと共に食べる食事が美味しいとナルトに教えたのはカカシだ。
 知ってしまった後の一人の虚しさを痛いほど知っている。
 だから、言い返せなかった。
 ナルトはため息を吐いた。
「じゃあ、買出し行って来て、センセー。オレってば家から出ちゃいけないんだろ。このままじゃ腹が空いて倒れそうだってば」
 カカシは目を細め、はいはい、と頷いた。

 影分身が買ってきたビニール袋二つ分の食材を、ナルトはてきぱきと仕舞う。乾物と野菜ばかりでナルトは顔をしかめた。野菜はともかく、乾物とは珍しい。
 もっともナルトがいつまでいるか分からないのだから、後々使えるものにしたのだろう。カカシの嗜好には合っていないが、それも年月の成せる業か。
「あ、ナルト、今日は秋刀魚とナスの味噌汁ね」
 椅子に座ってナルトが立ち動くさまを眺めていたカカシがにこやかに告げた。ビニール袋の奥、秋刀魚の光沢が異彩を放っている。
「センセーの好きなもんばっかなのはいいとしてさあ、昼からそれー?」
「オレもお腹減ったんだよ。久しぶりのナルトと一緒のご飯だから、美味しいものを美味しく食べたいじゃない」
「まーそれはそうだろうけどさ……夕飯はどうすんだってば」
「んー? 夕飯も秋刀魚でいいよ」
「先生、マジで秋刀魚好きだよな」
 呆れつつもナルトは拒否しなかった。
「オレは秋刀魚焼くから、ナルトは味噌汁作って」
「リョーカイ、だってばよ」
 いそいそとカカシが立ち上がる。
 二人で立つキッチンは狭かったが、カカシの雰囲気が弾んでいたので、ナルトも我知らず嬉しくなった。

 昼食を終えて立ち上がったナルトに、カカシの腕が伸ばされた。
 ひどく、脆いものを掴むかのように繊細な手つきで抱き締められる。背中を向けるように抱き締められ、覚えのある体勢にかあと顔が熱くなった。
 くくく、と笑う気配がする。
「……状況確認から、しようか」
 カカシの言に、ナルトは頷いた。
「さっきは、ごめんね」
「ん、いいってば。先生、謝ってくれたし。ここのオレ、任務にでも行ってるの?」
「……そんなものかな。長期で里を出ているから、間違ってもいるはずがないんだ」
 カカシの声がふと沈んだように感じられた。
 どう返していいのか分からないナルトが固まっていると、背後から腕が伸び、手を掴まれた。
 覆いかぶさるように、手の甲に大きな掌が添えられる。
「十五かあ……まだ小さな手だねえ」
 ナルトは顔をしかめた。
 これでも修業の旅で大分大きくなったのだ。同期の中で一番小さかった背も伸びたし、筋肉がついたから体重も増えた。
 放任主義ではあるが、締めるところはきっちりと締める厳しい師匠だった自来也は、ナルトに決して好き嫌いを許さなかった。野菜を食べるまでは修行もお預けにされ、むくれたものだが、伸びた身長はバランスよい食事のお陰だと密かに感謝もしている。
 だが到底カカシに追いつくほどではない。差は縮まったが、なくなった訳ではないのだ。
 更に年を重ねたカカシに揶揄られ、ナルトは重いものが胸の奥にたまってゆくのを感じた。
 不機嫌を如実に感じ取ったのか、腰に巻きつけられた腕の力が強まる。
「怒りなさんな。これからもっと大きくなるってことだよ。まだ成長期途中でしょ」
 現金なものだが、それを聞いてナルトの機嫌は急上昇した。
 未来のカカシは、未来のナルトを知っている。
 もっと、近づける。
 確約をもらい、頬が緩んだ。
「お前は」
 僅かに、逡巡する気配。
「どうやってここに来たのか、教えてくれない?」
 床に巻物を広げ、術の修行を熱心にやっていた己を覚えているのだろう。
 成功もしたが、失敗も多かった。同居し始めてから、リビングの壁を壊したことだって片手の指では足りない。
 意図した跳躍ならいざ知らず、術の暴発で飛ばされたのなら、帰る方法を見つけるのは難しい。
 カカシはそれを危惧しているのだろうか。
「んー……オレにもよく、わかんねー」
「は?」
 ナルトは夕飯の途中で遭遇した不可思議な現象を語った。途中、状況確認もせずうかうかと危険に近寄るな、と小言と共に拳骨も頂いたが。
 聞き終えたカカシはそうか、と一言呟いた。
「先生?」
 黙りこんでしまったカカシに不安を覚える。
「……ああ、いや、ごめん。考え込んでた。……金環日食の数日後、って言ったっけ」
「うん、そうだってば。鏡に映ってたのも、それだと思う」
「鏡に飲み込まれた……ね。卑留呼は確かに死んでいたが、思念が残っていてもおかしくはない、か……日食の残滓を利用して……いや、未来に飛ばす意図が……」
 ぶつぶつとカカシが呟く。
 体をよじって顔を見ようとしたナルトの頭に、大きな手がのせられる。髪をかき混ぜるように乱暴に撫でられた。
「ま、調べてみるから、そんな思い詰めるな」
 頷く。カカシが満足そうに息を吐いた。
 その気配が、ぴりと真剣なものに変わる。
 ざあ、と窓から降り注いでいた光が薄れてゆく。
「本来なら火影様に事の次第を報告するべきなんだろうけど、今全体的にごたごたしててね。……悪いが、お前の存在を知られないほうがいい」
 喉につかえたように、ゆっくりと言い辛そうに告げられる。
 やんわりと腹を、封印式のあるへそを撫でられ、鈍い自覚のあるナルトも悟らざるを得なかった。
 ────おそらくは、九尾絡み。
 この世界のナルトが里を出ているのもその関係かもしれない。
 里から出されるほどの、何か。厄介なこと。なのに自分が、九尾を腹に封じたナルトが、もう一人現れたなど、火に油を注ぎこむようなものだ。
 九尾が二体。それは恐ろしくおぞましく、だが力になる。だからこそ。
「……わかったってば」
 ナルトは素直に頷いた。
 カカシは安心したようにため息をついた。
「しばらくは様子見だな。悪いが、家から出ないように……誰かに見つからないようにしていてくれ。結界は後で強化しておくし、オレも気をつけるけど」
 本当に大変な事態の渦中に投げ込まれてしまったことを、知る。
「ま、よろしくな。ナルト」
 軽い口調が沈んでいた心が浮き立たせるのを感じ、うん、とナルトは首を縦に振った。


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